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青春グラフィティ

最優秀新人賞を逃し、トイレで号泣〜伊藤 咲子さん(3)

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ありし日の阿久悠(右)、三木たかし両氏と

 伊藤がデビューした1974年の日本歌謡大賞・新人賞には、伊藤を含め5人がノミネートされた。最優秀賞に輝くのは2人。本選の前日、所属事務所の社長に呼ばれて、こう言われた。

 「中条(きよし)は当確だろう。残る1人は、(西川)峰子か、おまえだろうな。もし負けても、真っ先に峰子のところへ行って、『おめでとう』と言ってあげなさい。それが次へのステップになるのだから」

 一応は素直に「ハーイ」と答えたものの、内心では自信満々だった。西川とは同い年。それだけにライバル意識もあった。「あんな老けてる16歳がいるものか。絶対、年齢サバ読んでる、なんて思っていましたから(笑)」

「おめでとう」とライバルを祝ったけれど

 そして日本武道館での本選会当日。最優秀新人賞1人目は、予想通り、中条だった。発表の際は名前が読み上げられる前に、曲のイントロが流れることになっている。司会者が「さあ、もう1人は・・・」とアナウンスする頃には、本人の頭の中では、『ひまわり娘』が流れていた。

 と、ところが・・・。場内に鳴り響いたのは、西川の『あなたにあげる』のメロディーだった。

 血の気が引いた。悔しさで体が震えた。それでも、番組終了後、社長の言葉に従って西川の元へ行き、「峰子ちゃん、おめでとう」と声をかけた。おそらく笑顔だったろうが、心の中は悔しさでいっぱいだった。「この子さえいなけりゃ」とすら思った。

 ステージから下りた後、すぐに武道館のトイレに駆け込んで号泣した。知り合いの女性番組スタッフが、心配して駆けつけてくれた。その胸の中でも泣きじゃくった。この一件はスポーツ新聞の知るところとなり、翌日、「伊藤咲子、トイレで号泣」という見出しが紙面に躍った。

 西川とはその後、地方へ夜行列車で一緒に行った時に意気投合し、すっかり仲良くなった。親交は、今も続いている。

阿久悠&三木たかし、黄金コンビに持ち歌を

 ライバルが西川なら、師は作詞家の阿久悠と、作曲家の三木たかしだろう。所属事務所が同じだったこともあって、この黄金コンビには、多くの持ち歌を書いてもらった。

 「『ひまわり娘』は、ロンドンでレコーディングしたんです。作詞の阿久先生も一緒で、ホームシックにかかってしまった私を、3日間、朝昼晩と、和食屋さんに連れて行ってくれた。『サッコは金のかかる女だな』と言いながら・・・」

阿久が一昨年亡くなった直後のイベントは、涙、涙で満足にステージを務めることができなかった。

 「頂いた楽曲を泣いて歌えないなんてプロじゃない、阿久先生に申し訳ないと思いました。それからは、絶対にステージでは泣くまい、と心に決めました」

 今年の5月、三木も闘病の末に世を去った。12月12日のディナーショーでは、2人の曲をしっかり歌おうと思っている。(次号に続く)

(読売新聞 増沢一彦)

伊藤咲子 プロフィル

いとう・さきこ 1958年、東京都生まれ。73年、日本テレビ系『スター誕生!』でスカウトされ、74年に『ひまわり娘』で歌手デビュー。翌年も『木枯しの二人』『乙女のワルツ』『冬の星』などを相次いでヒットさせ、トップアイドルの地位を固めた。76年にはNHK『紅白歌合戦』に初出場した。89年に結婚し、歌手活動を休止。その後、闘病生活も送るが、2004年のデビュー30周年記念リサイタルで復帰。今年の12月12日には、東京・品川のパシフィックホテルでディナーショーを行う。

2009年10月21日  読売新聞)
この記事へのコメント
  • ゆうすけ
    2009年10月23日 11:08

    歌謡大賞の件、今でもよく覚えていますので、とても懐かしかったです。
    確かに、名前を呼ばれるとき、西川峰子さん、麻生よう子さん、そして咲子さんが、身体を震わせながらずっと下を向いて震えていたのを覚えています。
    一緒にノミネートされていた林寛子さんとさだまさしさんは、ハナから選ばれないと感じていたのか(笑)平然とニコニコしていたのとは対照的でした。
    峰子さんを祝福していた咲子さんの顔が引きつっていたのは、こういう裏事情があったのですね・・・。
    でも、「あなたにあげる」も、「ひまわり娘」も、ずっと歌い継がれているいい歌だというのは間違い無いですね。

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