- 08月25日
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即席ラーメン第一号として日清食品が「チキンラーメン」を発売した。1958年(昭和33年)
チキンラーメンの生みの親であり、日清食品の創業者、安藤百福(ももふく)は、終戦の1945年8月15日、疎開先で玉音放送を聞いた。その時から、安藤の脳裏を占めたのは、空腹で街をうろつく子供たちや食糧確保に血眼になる大人たちの胃袋を満たしたい、それが日本復興に向けて自分ができることだと決意したという。
日清食品の40周年記念誌には、こう記されている。
「食に対する切実さは、実際、あの時代を生きた人でないとわかるまい。巷には、食べるものを求めてさまよう人々があふれ、餓死者を路上に見ることもまれではなかった。
そして、食がなければ何事も始まらない。食が足りて初めて、人は争いをやめ、社会は安定して芸術を愛する心も生まれてくる。食こそがあらゆる人間存在の基本である」
こうして「食足世平」の理念が形作られ、やがてチキンラーメンが生まれたのだ。
「食」を重視する安藤に転機が訪れたのは、大阪・梅田の闇市で、ある光景を目にした時だった。30メートルほどの行列の先で、屋台のラーメンをすする人たちの姿があった。
それからの安藤の行動は迅速だった。大阪・池田市の住まいの庭に小屋を設け、中古の製めん機を持ち込んでラーメンの試作を続けた。それは深夜1時、2時まで続き、そのころの睡眠時間は平均4時間。1年間、一日も休むことなく研究と試作を続けたという。
安藤が目標とした「即席めん5つの原則」がある。「安全、保存性、美味、廉価、簡便」だ。こう記すと、今なら当然の内容と思えるが、この五つの条件をすべて満たすまでの労苦は並大抵のものではなかった。
日清食品のホームページの中の日清食品クロニクルで安藤はこう述懐している。
「私の人生は波乱の連続だった。しかし、そうした経験が、いざという時に常識を超える力を発揮させてくれた。インスタントラーメンの発明にたどり着くには、やはり48年間の人生が必要だった」
安藤は研究・開発者として優れているばかりでなく、商機を見るのもたくみだった。再びクロニクルから引用させてもらう。
それは、テレビに着目したことだった。まだ、一般家庭にはテレビは普及しておらず、街頭テレビに人々が群がっていた時代だった。これを目にした、安藤は、「近い将来、必ずテレビブームが来る」と確信したという。
確信は行動に転じた。莫大な宣伝費を投入し、テレビコマーシャルに打って出たのだ。筆者もおぼろげながら当時のチキンラーメンの映像を覚えている。
そして時は高度経済成長時代。忙しく働く日本人に、お湯を注ぐだけで食べられる即席ラーメンは大うけした。子どもたちのおやつ代わりや受験生の夜食に、またハイキングや山歩きなどでも重宝されている。
世界ラーメン協会の推定によると、2008年の即席めん消費量は世界で936億食(袋めん、カップめん合計)。08年はチキンラーメン誕生から50年。安藤は前年の07年1月5日に没した。96歳だった。「食足世平」の理念のうち、「食」は日本をはじめ多くの国で満ち足りるどころか飽食が進んでいるが、世は平らかでないのは安藤も予測できなかったかもしれない。 (神) =敬称略=


